鹿島参宮鉄道は、大正時代に茨城県の
石岡から
鉾田を結ぶ鉄道経営のために設立された。また、
玉造から
延方までの路線延長も企図していた。
霞ヶ浦の汽船事業により
鹿島参宮の目的を果たしたが、鉄道の経営も厳しい中、集客できずに数年で撤退している。その後は本格的に
バス事業に進出して、水郷地域の観光路線・生活路線を網羅していき、ガソリンが統制された
第二次世界大戦前後を除いて会社の大きな収益の柱となった。
常総筑波鉄道との合併前には、茨城県内の
水戸から
取手を結ぶ
常磐線から東部のほぼすべての地域に路線バスを張り巡らせ、千葉県の
佐原や
銚子にも路線を延ばしている。
1965年(昭和40年)6月1日に常総筑波鉄道と合併し関東鉄道となった。存続会社は鹿島参宮鉄道。出典:ウィキペディア