| 平福穂庵画集・限定580部・定価83000円・多数の色刷を含んだ作品160点を収載できるようになったことはまことに有り難い/平福百穂素描集/平福百穂・富田渓仙/3冊
3冊でまとめてみました。平福穂庵画集・昭和58年 二重箱 259P 限定580部 定価83000円。部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
祖父穂庵の画集については、昭和十年、田口掬汀氏の編集により 日本美術学 院から刊行された「平福穂庵画集」が唯一の纏まったものである。然しこの時 は先考百紙の三回忌を記念して行われた「穂庵・百穂父子遺作展」を機として 進められた企画であったので必ずしも万全のものとは云えないものであった。 元来穂庵は遊歴を好み、行く先々での所在画作の多い人であり、殊に函館では 会所町の表具師羽生六松氏宅(元、代官屋敷跡) に寄食好遇を受けているので北海道の画作もかなり多い筈である。中央画壇に居たのは晩年の数年間だけで、 地方画家としての生活の方が長かった関係もあってその真価を大方の清鑑に委ねるわけにいかなかった。百梱もこの点を遺憾に思い、自分の手で穂庵画集を 編纂したいという志望を持っていたが遂に果すことができず郷国に急逝した。
当初穂庵画集を新たにする企画は百穂画集を編集した昭和五十三年頃から集英社を通じて始まったが、今回秋田市加賀谷書店主加賀谷豊治氏の好意と英断 により、大日本絵画小川光二氏が主体となって実行されることになった。同社の清水湧一氏、三浦順子さんが編集にあたり、企画に参画した東海林玉樹氏は元座右宝刊行会にあって塩田英五郎氏と共に百穂画集の編集に苦心されたことも、まことに奇しき因縁と云わねばならない、勿論このような刊行に踏み切れたことには河北倫明氏、弦田平八郎氏、井上房子さん等美術史専攻家の秘庵画業に対する評価認識と強い推挽が與って力あるものである。殊に弦田平八郎氏は褒に「穂庵と百穂」(近代の美術第五十一号)の著作もあり、その後何回となく秋田或いは函館に迄労を厭わず癒庵の行跡を尋ね画業を探索されている。
穂庵履歴については百穂の記憶等をもとにした村松梢風氏の「本朝画人伝」しかない。三代も昔の祖父のことは、顔も見たこともないので私共にはただ伝説的存在である。穂庵・百穂二代に亘って庇護を受けた秋田の那波三郎右衛門家、盛岡の瀬川安五郎家との関りあいも多くの画業を除いては今は口伝によるものしかない。との間の一部は那波三治翁の記憶によったものもあり、又、舟山三朗画伯の協力を得て真筆の探索に力を注ぐことができた。勿論穂庵画作の愛蔵家諸氏の厚意によらなければこのような企てが成り立たなかったことも確 かである。 かくして価格に比しては多数の色刷を含んだ作品一六○点(多色印刷103点・単色印刷五七点)を収載できるようになったことはまことに有り難い仕儀と云わねばならない。
ここに関係された各位に いちいちその氏名を銘記しない 非礼は御許しを願う こととし、改めて深甚の謝意を申し上げたい。 昭和五十八年五月末日 世田谷北沢にて 平福一郎 謹識」
平福穂庵(読み)ひらふく・すいあん 没年:明治23.12.11(1890) 生年:弘化1.10.18(1844.11.27) 明治期の日本画家。羽後国角館(秋田県)生まれ。名は芸,通称順蔵。郷里で初め武村文海に円山四条派の絵を学ぶが,以後,ほぼ独学を通した。文久1(1861)年から京都に遊学し,師につかず風景写生や古画の模写に専念,慶応2(1866)年帰郷する。明治維新後,各種の博覧会で受賞,「乞食図」「乳虎図」(いずれも個人蔵)など,すぐれた描写力を示した。また明治5(1872)年北海道に旅行し,以後アイヌの図を多く制作,また自ら一時勤めた荒川銅山を「荒川鉱山全景」として描くなど,社会派的な意識と行動が認められる。同17年東洋絵画会学術委員となる。平福百穂 はその子,寺崎広業は弟子。
平福百穂素描集刊行のごあいさつ 秋田県を代表する日本画家といえば、やはり円山四条派の流れをくむ祖父文浪、父穂庵 とともに三代にわたり彩管をふるった平福百穂を、だれしも第一に挙げることでしょう。
「百穂は、巣なる伝統の墨守にはあきたらず、写実主義、琳派風な装飾性、それに自然と 人間の融合を図った高いヒューマニズムなどが渾然一体となった独自の画境を完成し、近代日本画の本流に一時代を画しました。その透徹したリアリズムは、有数のアララギ派歌人でもある彼が、「実相観入」の理念を絵画の世界にも投射させたものに違いありません。 写生を重んじた百穂は、当然のように優れた素描家でもありました。なかんずく東京美校を卒業したばかりの青年時代、新潮社の前身である新声社に籍を置き、雑誌の挿絵を描 きまくっていた時期があります。さらに平民新聞、電報新聞、国民新聞など、新聞の挿絵も受け持ち、世相を端的に風刺したユニークなスケッチは巷間でも好評を博したものです。
秋田魁新報社では百穂没後五十年を記念して「平福百穂展」を開くことになりましたが、この機会にあわせて「平福百穂素描集」を上梓しました。 結城素明らと新日本画運動を興し、文展、帝展に秀作を発表、日本画壇に揺るぎない地位を確立した百穂芸術を支える基盤は、いうまでもなく卓抜した素描力です。その芸術の 神髄を探る手がかりという意味で「平福百穂素描集」の価値は大なるものがあることでしょう。 よろしくご清鑑ください。 昭和五十七年十一月 秋田魁新報社
お好きな方、お探しの方いかがでしょうか。
中古品ですので傷・黄ばみ・破れ・折れ等経年の汚れはあり。輸送箱傷、小汚れ、変色。平福穂庵画集:軽度の割れあり。平福百穂素描集:カバー破れ、軽度の割れあり。ご理解の上、ご入札ください。 もちろん読む分には問題ありません。201402 |