60's ザ・ウォーカー・ブラザース 
The Walker Brothers (\370 国内盤 7inch)/ ふたりの太陽 Everything Under The Sun / 君を知りたい I Wanna Know
Philips SFL-1100
1967年リリース

レコードの盤面の盤質は、良好です。
解説(北山幹雄)、歌詞が、あります。

ジャケット、ライナーに コスレとヨゴレが、あります。

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ウォーカー・ブラザーズ (The Walker Brothers) は、アメリカ合衆国バンド。1960年代中頃に英国で大きな成功を収めた。クリス・ケナーのカバー『ダンス天国英語版)』や、フランキー・ヴァリのカバー『太陽はもう輝かない英語版)』のヒットで知られる。ブラザーズと名乗っているが兄弟ではない。


前身バンド「Judy and the Gents」などを経て、1964年にロサンゼルスで元ルーターズのスコット・エンゲル、ミュージシャンのジョン・ウォーカー(本名 ジョン・ジョゼフ・マウス)、ドラマーのアル・ティニー・シュナイダーの3人で「ウォーカー・ブラザーズ・トリオ」が結成される[1]
スコットとジョンのデュオとしてマーキュリー・レコードと契約し、R&B歌手ユージーン・チャーチのカバー『Pretty Girls Everywhere』でデビューする。メイン・ボーカルはジョンであった。TVショー『Shindig!』やミュージカル・コメディ映画『踊る太陽英語版)』にも出演したが人気は出なかった。
その後、スタンデルズのドラマーのゲイリー・リーズにイギリス行きを説得され、1965年2月にゲイリーを加えてロンドンに拠点を移す。名プロデューサージョニー・フランツに見出されフィリップス・レコードと契約する。スコットのメイン・ボーカルで吹き込んだ2枚目のシングル『Love Her』が全英20位のヒットを記録し、若い女性ファンを中心に人気を博す。
1965年9月、ジェリー・バトラーのカバー『涙でさようなら(Make It Easy on Yourself)』が全英1位・全米16位を記録する。ジョンはこの年、一緒にツアーを回ったヤードバーズジェフ・ベックに中古品としては割高の75ポンドで1954年製フェンダー・エスクワイヤーを譲っている[2]
1966年、『太陽はもう輝かない』が全英1位・全米13位を獲得する。日本でもヒットし、1967年2月に初来日する。その後も『ダンス天国』や日本独自発売の『孤独の太陽』が大ヒットし、不二家チョコレートのCMに出演するなど日本列島に旋風を巻き起こす。
春に行ったジミ・ヘンドリックスキャット・スティーヴンスエンゲルベルト・フンパーディンクとのイギリスツアーの後に解散し、それぞれソロ活動を行う。
1968年1月、爆発的な人気だった日本で臨時に再結成をし、日本武道館などで公演を行う。ちなみに、日本武道館での公演はビートルズに次いで2番目である。ライブ・アルバム『イン・ジャパン』発売。
1975年に再結集して、GTOレコード英語版)からアルバム『ノー・リグレッツ』を発売する。翌年シングルカットした『ノー・リグレッツ』が全英7位を記録する[3]。1978年に最後のスタジオ・アルバムを発売し活動停止する。

ザ・ウォーカー・ブラザース* = The Walker Brothers  ふたりの太陽 = Everything Under The Sun

レーベル:Philips  SFL-1100
フォーマット:
レコード, 7", 45 RPM, Single, Stereo, Blue Label, 
国:Japan
リリース済み:1967年
ジャンル:Pop
スタイル:


AEverything Under The Sun = ふたりの太陽
Written-By  Bob CreweG. Knight*
Written-By  Bob CreweG. Knight*
3:38
BI Wanna Know = 君を知りたい
Written-By  J. Maus*
Written-By  J. Maus*
2:26