茨城県石岡市高浜にある広瀬酒造(白菊酒造)の元社長で考古学者の広瀬栄一氏が昭和期を中心に収集された拓本等を追加ご案内致します。


発掘調査の結果、寺域は東西183メートル、南北300メートルと復原される[1]。この中に中門、金堂、講堂、食堂(じきどう)が南北に並び、金堂の南西に七重塔が位置する大官大寺形式の伽藍を有していた。
現在、観音堂がある場所に塔基壇が、薬師堂がある場所に金堂跡が検出されている。塔は七重塔で、遺構から復元すると基壇の1辺が18メートル、建物は初層の1辺が11メートル、高さは推定60メートル余という巨大な塔であったと考えられ、全国に64寺ある国分寺の中でも3本指に入るとも言われる。金堂跡の礎石は薬師堂建立時に移動されて原位置を保っていなかったが、金堂は南面し、正面七間、奥行四間であったと推定されている。金堂跡の北には講堂跡の土台が残り、その北にあった掘立柱建物は食堂と推定されている。
講堂跡と食堂跡は基壇が整備されており、約3.3haが整備されて豊後国分寺跡史跡公園になっている。また、隣接地には大分市歴史資料館が建設され、豊後国分寺の七重塔の復元模型や豊後国分寺からの出土品などが展示されている。
出典:ウィキペディア
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てればそして、故郷に帰る事ができれば大変嬉しいです。
写真にあるスケールは全長17㎝です。
状態は経年によるシミヤケがあります。
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